21枚目のシングル 1984.10.21
サザン初の海外録音。最初で最後か?確かロサンゼルスだったか。
シングルでいうと「ミス・ブランニュー・デイ」アルバムだと「人気者で行こう」という大ヒット作のあとでイケイケの時期だったが、この曲はいろんな意味で野心的で挑戦的な作品。勝手に思ってるんだけど、この頃のサザンは、海外(アメリカ)進出の野望があったのではないか?ロス録音で全編英語というところからそんな想像をしてしまう。また、当時単身NYに乗り込み1からコネクションを作り上げてそれまでとは全く違う作品をNYで制作した佐野元春の影響も少なからずあったのでは?
曲自体は普通にカッコいいロックで、アレンジもこなれてきて、いかにも「コンピュータとか使ってます!」という主張なしに聴けるし、当時の洋楽と比べても見劣りしないけど、逆にサザンのいい意味でのアクの強さみたいなものが「普通のカッコよさ」で中和されてしまってる気もする。やっぱりサザンの音楽は、桑田さんのあの歌詞があってこそ、という風にあらためて感じる。
当時市場での反応もいまいちだった気がする。その後ライブでもほとんど演奏しないし、ベストアルバムとかに収録されることもなく、忘れられたような存在だったけど、2015年「葡萄」ツアーのオープニングで演奏されて、メチャメチャ強いインパクトを残した。ファンの間では再び脚光をあびたのではないか?「知らない」っていうファンも結構いたみたいだけど・・・